野球関連
同僚と同姓同名と言う奇妙なきっかけからヤクルト・スワローズの大塚淳選手を応援しています。元気で少年のような大塚選手もプロ6年目。昨年は北京五輪テスト大会のメンバーに選ばれ主将を務めました。今年こそは一軍での活躍を期待しています。 大塚淳 - Wikipedia
仁丹・野球メダルガム
1963年に森下仁丹から「野球メダルガム」が発売されました。包装紙に当り券があるとアルミ製の球団旗メダルがもらえるのですが、1ケース(40個入り)に当りが8枚しかなくチームも指定されるので、好きな球団のメダルを手に入れるのは大変でした。その後、1964年には「野球メダル付ガム」、 1965年には2代目「野球メダルガム」が発売されましたが、私としては初代「野球メダルガム」に思い入れがあります。左下の写真は初代「野球メダルガム」の当り券で、右下は「野球メダル付ガム」の包装紙です。
下の写真はケースの台紙についたままの状態のメダルです。このようにセントラル・リーグは、巨人と阪神が2枚ずつ、他の4球団が1枚ずつで、合計8枚がセットになっていました。「アトム・シールと鉄人ワッペン(綱島理友著・淡交社)」に仁丹野球メダルガムについて紹介されていますが、その中に「森下仁丹の本社を訪れ倉庫を家捜しさせてもらった時に1つだけ残っていた」と言うデイスプレーケースの写真が掲載されています。この本で紹介されているのはパシフィック・リーグのものですが、南海と東映が2枚ずつで、巨人、阪神と並んで人気球団だったことが考えられます。セントラル・リーグの物は他で見たことがなく、今回の写真は貴重な資料ではないかと思います。
各球団のメダルの写真です。当時は気づきませんでしたが、国鉄は「ツバメとKの文字」、南海は「鷹とHの文字」、広島は「鯉とCの文字」が組み合わされているのがわかります。特に広島のデザインは洗練されていてなかなかなものだと思います。近鉄は岡本太郎さんのデザインで何となく「太陽の塔」に似た雰囲気があります。大毎は「大映」と「毎日」を併せたチーム名ですが、1950年から54年までは松竹もロビンズ(53年からは大洋と共同で「洋松ロビンズ」)と言う球団を持っており映画会社に勢いがあったことがわかります。なお、ナショナルキッドつながりで言うと、悪役商会の八名信夫さんがインカ金星人の役で出ていますが、元は東映フライヤーズの投手(1956-58年,背番号13)だったそうです。
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メダルと一緒に「引換カード」が入っていて、セ・パ6球団で「すてきなくさり」、8枚で「バット型ペンシル」がもらえました。「すてきなくさり」なるものは家のどこかにあるはずですが、切手代が無駄と思える安っぽいものでした。「とにかく8枚で・・・」と言う表現が何となく可笑しいです。
集めたメダルはCDのケースにゴム板を入れて保管しています。 安上がりに作れて、裏面も見えるので自分としては中々気に入っています。
下の写真は、同じく仁丹から発売されていた「野球カード入ガム(1964)」のおまけのカード(南海ホークス・杉浦、野村、広瀬)と、それらに対応する金型です。
プロ野球・カード(1959-1960年頃)
1960年頃のプロ野球カードです。1959年は新人の当たり年で、このカードの中にある桑田武、村山実、江藤慎一の各選手がこの年に入団しています。王貞治、張本勲選手もこの年の入団ですがカードからは洩れています。一方、国鉄の岩下選手、箱田選手は1961年にそれぞれ近鉄と大洋に移籍しているので、 1959年か1960年に絞られます。江藤選手のカードは捕手の姿ですが、江藤選手は1959年に捕手で入団し、その年に一塁手に転向したようなので、 1959年のシーズン途中に作られたカードではないかと考えています。
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東映フライヤーズ・毒島章一選手
毒島(ぶすじま)と言う変わった名前に加えて、毒島姓の同級生がいたため気になる野球選手の一人でした。走攻守の三拍子が揃ったイチロー型の選手で、40年遅く生まれていたら今頃はメジャーリーグで活躍していたかもしれません。トリカブトが自生する島の出身と勝手に想像していましたが、海の無い「群馬県(桐生高校)」の出身だそうです。群馬県伊勢崎市赤堀今井町には毒島城址があるので、毒島選手は城主の毒島家の縁者かもしれません。お嬢さんの由香さんはとても可愛くて、決して「ブス」とは呼ばれなかったでしょうね。 毒島章一 - Wikipedia
1978年・日本シリーズ最終戦(10月22日)
1978年の日本シリーズは第7戦までもつれこみ、結局、ヤクルトが阪急を4対0で下して優勝しました。当時、私は新入社員でスワキチの先輩に連れられて後楽園球場に来ていました。スワローズのフランチャイズは今と同じく神宮球場でしたが、大学野球の日程が詰まっていたため、日本シリーズは後楽園で開催されました(開幕当初、スワローズの優勝を予想した人はほとんどいなかったと思います)。
もう30年近くも前のことなので覚えている人は少ないと思いますが、6回裏、1死からヤクルトの大杉選手が放った左翼ポール際の大飛球がホームランと判定され、上田監督の猛抗議により試合が1時間19分も中断したことでも有名です。その日はとても寒い日で、ビールではなく「ワンカップ大関」を片手に試合再開を待っていたことを覚えています。
その日の入場券と、リーグ優勝の記念に配られた下敷きが出てきました。この年はヤクルト・ミルミルが新発売された年でもありました。
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優勝記念メダル
スワローズの優勝記念メダルです。左側は1978年、球団創設以来初めて優勝した時のファン感謝デーで配られたもので、持っている人は少ないと思います。その14年後に優勝した時には、同じ型を使って作ったメダルが販売されました。この頃のマスコットキャラは頬に大きな傷があり、まるでヤ○ザのようです。
イチロー選手・ボトルキャップ
スワローズ関係のグッズをいろいろと持っているので、スワローズファンと誤解されそうですが、特にファンと言うわけではありません。イチロー選手は高校生の頃から注目していて今でも応援しています。下のフィギュアはペプシコーラのおまけですが、全部揃えるのに苦労しました。コレクションにはあまりお金をかけたくないのですが、今回のディスプレイケースは特別製でかなりの費用がかかりました。
セ・リーグ最下位チームの最多勝利投手と四番打者がリーグ優勝チームに移籍してしまい、日本の野球には関心がなくなりました。ラジオを聞きながら車で通勤しているのですがNHKも野球の時は仕方なくFENを聴いています。おかげでリスニングが少し上達したように思います。
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