ナショナルキッド・ロケ地
ナショナルキッドのロケ地を発掘しています。これまでに、少年探偵グループが真田博士に会った博物館(海底魔王ネルコン):国立科学博物館、チャコ姉ちゃん(小畑尚子=太地喜和子)が海底人に拉致された池(海底魔王ネルコン):練馬区石神井池、山の友の会会長・緑川剛介の講演会場(地底魔城):杉並公会堂、吉見百穴(地底魔城)、浜の崎灯台(謎の宇宙少年・後編):三浦市の剣崎灯台などが判明しています。
最近、大泉学園関係の掲示板を通じての閲覧が多いので、大泉中学校と大泉バラ園に関する写真を追加しました。
城北大学附属三笠小学校=練馬区立大泉中学校
少年探偵グループが通う三笠小学校は「インカ族の来襲」第一話を始め、「地底魔城」で少年探偵グループの山口京子ちゃんが看護婦に変装したアンナに誘拐されるシーンや、「謎の宇宙少年」で大空太郎が地底人に狙われるシーンに登場します。
「地底魔城」の映像を見ると、小学校の向かい側の道に「久保田産科婦人科」と読める看板がありますが、地図を調べると東映大泉撮影所の近くに「久保田産婦人科病院」という建物があることがわかりました。
「久保田病院」の真向かいには、当時から「練馬区立大泉中学校」があることがわかりました。そこで、現地に赴き調査した結果、道の曲がり具合や「久保田病院」との位置関係もピッタリで、ここが「三笠小学校」のロケ地であることを確信しました。
旗竜作研究所=大泉バラ園
旗竜作(実はナショナルキッド)の私設研究所で、少年探偵グループが寝起きしている建物です。
手掛かりが少なく苦労しました。小池監督が『宇宙船 第4巻』インタビュー記事の中で「旗竜作の研究所は大泉撮影所の近くにあったバラ園だった」ことを述べておられますが、確かにバラの花があちこちに出てきます。また、建物の正面にはシュロの木が三本生えていて右側には階段が見えます。
さらに、研究所前の道にはバスが走っていて、研究所に向かって左方向に行くと右にカーブしていることもわかりました。
そして、バス通りから見て研究所の右奥には高圧線の鉄塔も見えます。
これらの条件を満たす建物を1974年の航空写真から探したところ、下の写真に示す建物がピックアップされ、建物の前の様子もいかにも庭園風であることがわかりました。
そこで、1974年当時の詳細な地図(東京都航空住宅地図帳・昭和50年版)を調べたところ、確かにここに「大泉バラ園」があったことが確認されました。
2005年の4月に現地を訪れてみました。バラ園はもうありませんでしたが、近くに「ローズマンション」と言う建物が建っていました。そして何よりも、4~5メートルほどに大きくなったシュロの木が三本、寄り添って生えているのを見つけて感激しました(2006年6月の時点でもシュロの木は三本とも健在でした)。
建物は1979年には既に無くなっており、現在は民家が建っています。
国際原子科学研究所/川村海洋学研究所=本田技研サービスセンター
写真は「インカ族の来襲」に出てくる「国際原子科学研究所」です。三角屋根のバルコニーが張り出した特徴的な建物で、道を挟んで右奥には学校(校庭にいるのは小学生のようです)があります。また写真の奥の方には送電線らしき物も写っています。同じ建物が海底魔王ネルコンでは「川村海洋学研究所」として使われており、かなり広い道路に面していることもわかりました。1960年当時、鉄筋コンクリートの校舎はまだ珍しく、ヒントはいろいろとあるのですが、なかなか糸口がつかめませんでした。「朝霞演習場なんかよく行きました」と言う小池監督の言葉を思い出し、周辺の朝霞市、和光市を探したところ、条件にピッタリの建物が見つかりました。
建物の向こうに見える小学校は「和光市立第三小学校」です。ロケに使われた建物は既に無くなっていますが、航空写真から1989年までは存在しており、「本田技研サービスセンター」の敷地内にあったことがわかりました。和光市(当時は埼玉県北足立郡大和町)には1953年以来「ホンダ」の工場がありますが、ナショナルキッドが撮影された1960年は「本田技術研究所」が分離独立した年なので、象徴的な意味合いを持って作られた建物ではないかと思います。
白黒の映像ではわからないのですが、上の航空写真(1974年)を見ると真っ赤な屋根(1984年以降は白)の建物だったことがわかります。建物に面した道路は川越街道(旧道)です。なお、和光三小のHPによると、校舎の落成式が1960年5月17日(奇しくも私の弟が生まれたその日です)、プールの竣工が1960年7月とのことです。「インカ族の来襲」の第一話を良く見ると建設中のプールが映っていますので、6月頃に撮影されたのだと思います。
現在はHONDAの販売店(Honda Cars 埼玉和光中央店)になっています。和光第三小学校の建物は49年経っても健在です。2009年4月撮影
真田博士邸=文部省史料館(旧・三井文庫、現・国文学資料館
特徴的な建物ですが手がかりが全くありませんでした。石神井池で撮影されたシーンに続いて登場するので、石神井池の周辺を探してみたり、石神井池の近くに住んでいる知人にも聞いてみましたが、見つけることができませんでした。以前、「ナショナルキッド×ロケ地」で検索した際に「ナショナルキッドのロケに国文学資料館(品川区)の森が使われた」との書き込みがあったのですが、東映撮影所からは遠いので他の番組と混同しているのだと思っていました。しかし、国文学資料館の前にも真田邸と同じくかなり大きな池がありますので、あらためて可能性について検討してみました。
調査の結果、国文学資料館の歴史は新しく、1960年当時は「文部省史料館」、さらにその前身は「三井文庫」であることがわかりました。そこで、あまり期待しないまま三井文庫の写真を検索したところ中央の真田邸にそっくりの写真が見つかりました。この建物は1974年以前に建て替えられているようですが真田邸に間違いないと思います。
真田邸爆破のシーン(海底魔王ネルコン 第5話「 尚子の死刑台」)は模型の出来も良く、当時としてはなかなかの迫力だったと思います。
一日だけの休日・多摩川の橋=多摩川原橋
インカ族の来襲の第9話「一日だけの休日」で登場人物達がピクニックに行くシーンに出てきます。多摩川の橋であることは確かなのですがなかなか特定できませんでした。下の写真(左から二番目)は完成直後(1935年)の多摩川原橋です。特徴的な二本のポーチが立っていますが、このポーチとよく似た柱が映像写真にも見えます。
上の写真は現在の多摩川原橋です。2006年に新しい橋に架け替えられました。

映像を見ると橋の少し下流側に二本の松がありますが、多摩川原橋の丁度この辺りに「筏の松(別名:舟つなぎの松)」と呼ばれる樹齢200年を超える松が二本生えていて樹形も良く似てます。また、土手には階段がありますが、1974年の航空写真にも同じ位置に階段らしき物が見えます。以上の理由からこの橋は「多摩川原橋」でほぼ間違いないと考えています。映像に見える土手は多摩川の調布市側と考えられ、川遊びの場所は土手に面して出来た水溜り(現在は草原)だと思います。
映像の土手にはバスが見えますが、当時から小田急バスにより調布→矢野口→柿生のルートで運行されているので、多分これがそうだと思います。1964年の情報ですが運行回数は日に3便で、調布~柿生間が35円だったそうです。現在、路線バスは土手を通らず直接鶴川街道を走っているようですが、その代わりに京王閣競輪場と矢野口駅を結ぶシャトルバスが土手を走っています。
「謎の宇宙少年」で地底人基地の入口として使われた墓地は青山墓地(外人墓地)であることがわかりました。
写真(右から二番目)の植込みの向こうにある一角に基地の入口がありました。ちなみに、一番左の写真手前の灰色のお墓は銅版画家で印刷技術指導者のE. Chiossone教授(1838-1893,イタリア人)、その右後ろの屋根に十字架のあるお墓は土木技師で水道事業指導者のH.S. Palmer氏(1832-1898,イギリス人)です。外人墓地のお墓の多くは日本の近代化に貢献された方々のものです。
左上の写真は、基地の入口のあった所を表側から見たものです。墓石には、
ALICE; WIFE OF WILLIAM J. BISHOP; DIED MARCH 9, 1900, AGED 27
SON OF; WILLIAM J. AND CLARA MAY BISHOP; BORN AND DIED DECEMBER 5, 1902
CHRISTIAN LITERATURE SOCIETY JAPAN; 財団法人 日本キリスト教文化協会; 株式会社 教文社
と刻まれており、BISHOP氏の前妻と死産した子息のお墓のようです。
当時から更地の状態だったようなのでお墓のセットを置いて撮影したのだと思いますが、今だったら許されないでしょう。
インカ族の来襲 第13話「宇宙大戦争」の円盤着陸地点=中島飛行機・武蔵製作所跡地
「宇宙船(Vol.4)」に掲載されていた情報です。武蔵野市にあった中島飛行機武蔵製作所は、戦後、米軍宿舎やNTT電気通信研究所(現在は「NTT武蔵野研究開発センタ」、右の写真)として利用されました。
少年探偵グループが真田博士と出会い、チャコ姉ちゃんが海底人に拉致された池(石神井池)
カラー写真は2009年10月31日に撮影したものです。当時に比べて草木が生い茂っていて、同じアングルでは撮影できませんでした。
その他(国立科学博物館/吉見百穴/杉並公会堂/朝霞演習場/剣崎灯台)
吉見百穴は「地底魔城」の冒頭に出てきます。1887年に坪井正五郎博士が調査して、「コロボックル人」の住居跡と発表しましたが、現在では古墳時代後期に作られた横穴墓群と考えられているそうです。
右中央の写真では宇宙少年と少年グループが「埴生の宿」を歌いながら行進しています。小池淳監督は「自衛隊の朝霞演習場なんかよく行きました」と話しておられますが、「宇宙船(Vol.4)」によれば、このシーンも朝霞演習場で撮影されたようです。ところで、私は何故かこのシーンを良く覚えています。特に音楽が好きと言うわけではないのですが音楽が加わると記憶に残りやすいのかもしれません。脳研究者の端くれとして非常に興味深く思います。
少年ジェット・ロケ地
ナショナルキッドではないのですが、少年ジェット「黒い影」でジェットがオートバイで渡る橋は、多摩水道橋であることがわかりました。右端に小田急線が走っているのが見えます。
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2008年4月20日、多摩水道橋と多摩川原橋の写真を撮影しました。これらの橋の間を多摩川沿いに歩いたのですがとても疲れました。若い頃は長距離走の選手でフルマラソンにも出たことがあるのですが情けない限りです。
多摩水道橋の2km程上流にはユニークな形の「二ヶ領上河原堰堤」がありますが、ここを背景にしたシーン(下中央)も登場します。大映東京撮影所に近く撮影に便利だったものと思われます。左下の写真は京王相模線の車中から撮影したもので映像とは逆側(上流側)からの風景です。当時とは随分形が変わっていますが堰は今でも健在です。
右上の写真は少年ジェット「黒い影」に出演された和泉雅子さんです。1947年7月31日生まれですから当時12歳、文句なしの美少女でした。 和泉雅子 - Wikipedia
↑ 左4枚が少年ジェット、右4枚がまぼろし探偵です。右端の面子の女の子は吉永小百合さんです。
1959年頃の新宿駅西口(「まぼろし探偵」より)
調子に乗ってもう一枚。「まぼろし探偵(ウランの秘密・前編)」からです。背景として写し込まれた当時の風景を知ることも、昔の映像を見る楽しみの一つです。下の写真ではパナマ帽の男が小田急線を出て、「茶の池田や」の前を通って京王線に向かっています。写真の奥側が南になりますが、当時の地図を見ると、小田急線は今よりもかなり北側(現在の小田急百貨店辺り)まで来ており、今とは逆に小田急線の駅舎の方が京王線よりも北にあったことがわかります。京王線の看板に「多摩動物公園・野猿峠・高尾山」とあります。多摩動物公園と高尾山は今でも観光地と言って良いと思いますが、手軽なハイキング地として有名だった「野猿峠」は今は見る影もありません。当時の名残りで「ホテル野猿」と言うラブホテルがあるくらいです。なお、「茶の池田や」さんは、現在でも同じロゴのまま小田急エース南館で営業されています。
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